その他

どうして私が『毒親バイバイ!』を立ちあげたか

当ブログ毒親バイバイ!も2021年に満3年をむかえます。

プロフィールのほうで軽く説明はしていたのですが、どうして私が毒親ブログをたちあげたかについてこの記事で解説しています。

ふりかえると色々な理由があったなと思います。

いざちゃんと語ろうとすると恥ずかしくて

「ブログが2年以上継続できたらちゃんと書こう!」

と決めていました。

私の過去話が多くなるとは思いますが、軽いよみものとしてみていただけるとうれしいです。

ちなみにアラサーの人だったらよくわかるネタが多いかと思います(笑)

スポンサーリンク

ネットに毒親から脱出した人の話がなかったから。

私が毒親からの脱出を考えていたのはそれこそ小学生のときからなのですが、大学生のときに本格的に計画をたてはじめました。

が、当時ネットに毒親から脱出した人の話ってほぼなかったんです。

特に田舎から脱出した人の話がなかったのです。

非常に落ちこんだのを覚えています。

当時のグーグルでは一応毒親というワードはでてきましたし、新聞社のインタビューなどの記事はあったんです。

でも田舎で毒親から脱出した人の話がほぼなかったんです。

どうやって毒親から脱出したのか過程がしりたいのに。

それもそのはず。

毒親というワードはいまでこそ一般に認知されていますが、私が大学生のときようやく日本に定着したものだったんです。

これは個人的な感想ですが私が大学生だった10年ぐらいまえは

「親のことを毒親なんていうなんて」

という風潮がかなり強かったですね…

私が田舎に住んでいたこともあったでしょうね。

今はまだマシです。

今はネットが発達したおかげもあって毒親の認知がすすんでいて私的にはすっごくありがたいなと思っています。

そもそも当時は毒親の定義もあいまいでしたし。

「じゃあ田舎住みで親も裕福じゃない私がいつか脱出したら記事にしてやる!!!!」

と決意したことを覚えていますね。

なぜか「ぜったい私以外でも同じような境遇の人はいる!!」と確信していました。

スポンサーリンク

本当に脱出できるのか?という自分がいたから。

いつか毒親から離れることを決意したとしても、やっぱり不安でしたね。

とにかく不安。

「親には頼らない」

「親には保証人になってもらえない」

普通の人はこんなことで悩まないですからね。

いつどこで計画が破綻するかわからなくて、そういう意味でも超ストレスでした。

でも心のどこかにはいつも先程もいった

「じゃあ田舎住みで親も裕福じゃない私がいつか脱出したら記事にしてやる!!!!」

というのはありましたね…今考えるとすごい前向きな思考だったと思います。

ただヤケクソになっていた部分も否定できませんね。

もしこれで人生変わらなかったら○のう!ぐらいの気持ちでした。

色々ありましたが、結果的に親とは離れられたので

「よっしゃ記事にしよ!」

と思いました。

スポンサーリンク

私は○○○の人間です。

毒親のレポとか読んでると、

「マンガ家です」

「東大生です」

「親が医者です」

「看護師です」

「首都圏に住んでいます」

という人が結構多くて…正直、参考にならないと思っていました。

(この記事をみている人がそうだったらごめんなさい)

私はもうしわけなぐらい普通の人間です。むしろ低下層の人間だと思います。

しいてあげるなら行動力と決断力はほかの人よりはあると思います。

親だって農家と会社員の兼業ですし、両親とも高卒です。

親の年収もいわゆる低所得といえるレベルです。

コンビニにいくのに徒歩で1時間かかるレベルのど田舎のど田舎に住んでいました。

ど田舎だと仕事もないうえに職種が限られます。

それってそもそも通勤時間とかの問題じゃないですよね。

新卒のときどれだけ「首都圏の人だったらもっといろんな会社受けれるのに」と思ったことか。

なんとかお金をためてど田舎から東京にでるときめちゃくちゃ緊張しました。

すっごく怖かったけどやってよかったです。

今は私はなんとかなってるのでふつうの人間でも毒親から脱出できるよということをなにかの形で誰かに読んでもらいたかったんです。

とくに私と同じような境遇の人に。

あなたにもできる。

それをこのブログでは伝えていきたいんです。

まだ読みにくいところがあるのでそれは都度訂正していきますね…(汗)

スポンサーリンク

締め

この記事では私がこのブログをたちあげたわけについてまとめています。

これからも役に立てる記事を更新していきたいと思うので、あたたかい目で見守ってもらえると嬉しいです。

今年で4年目。

これからもマイペースにやっていきたいと思います。