護心術

母親から「お前なんか産まなきゃよかった」といわれた子がアラサーになって思うこと

「あんたなんかうまなきゃよかった」

いつだったか、たたきつけられるように母親からこのセリフを言われたことを今でも覚えています。

母親はそのとき怒りながら泣いていたような気がします。

私はただショックで何もそのときに言葉にできませんでした。

ただこう思いました。「うまれたくてうまれたんじゃねーよ」と。

でもその言葉が浮かんだとき、自分で考えたくせにとても虚しかったのを覚えています

私はもともと否定される言葉を日常的に言われながら育ちました。

だから「うまなきゃよかった」という発言以外にも傷ついた言葉はたくさんあります。

話は脱線しますが、最近こういった弱者である子どもへの不適切なかかわり方のことを英語でマルトリーメント、というようです。

このマルトリーメントとは具体的にいうと、言葉による脅し、威嚇、罵倒、もしくは無視する放っておくなどの行為のほか、子どもの前で繰り広げられる激しい夫婦げんかのことをささします。

子どもの脳を傷つける親たち (NHK出版新書 523) より抜粋)

これ全部されたなあ、と読んだときは思わずため息をつきました。

話を戻します。

この母親の「うまなきゃよかった」という発言は、特に1番大きな爆弾のように私の心に落ちてきて今でも深い穴が心にあいているようです。

それだけ決定的なものでした。

今は「うまなきゃよかった」という言葉はこの世界で1番つかってはいけない、人間を全否定する言葉だと思っています。

でも私の場合そう思えるのにだいぶ時間がかかりました。

気づいたとき私はアラサーになりました。

この記事では、「うまなきゃよかった」という言葉を吐かれた私がアラサーになり、その区切りとして今のこの私の考えをこの記事に書いていきたいと思いました。

いつまでも母親の発言に振り回されるのはもううんざり。

もう私もいい大人になりましたし。

前に進むためにもここで書いていきたいと思います。

タチカワ
タチカワ
ちなみに私の家族構成は、祖父母・父母・私・弟です
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私に「うまなきゃよかった」という母親のことについて

まずこれだけだと私の母親が鬼のような人に感じてしまうので、母親がそこまでの発言にいたった経緯をかんたんに説明します。

決して母親をかばうわけではありませんが、母親がこうなってしまったのは環境のせいでもあったと思います。

自分の価値観が大正義な母親

母親は昔からよくもわるくも自分の価値観がすべての人でした。

女は高卒で働くもの、女はスカートをはくもの、女は母親を支えるもの…

これが母親の口癖。

母親は自分のやっていることが何よりも正しいと信じて疑わず、それによって矛盾がでても

「私のせいなんだ」

「あのひとが悪い」

と自らを追い込む&他人を責めることによって物事の帳尻をあわせていた人でした。

それじゃあ現状はよくなりませんし、ストレスだってたまります。

今ならこの状態を認知的不協和という状態からのストレスの逃避だと理解できるのですが、小さかった私にはまったくわかるわけもありません。

認知的不協和について知りたい方はコチラの記事がオススメ↓↓

世間体を気にする母親

母親によると私の父との結婚は「騙された」とのこと。

私が生まれたのが平成初期なので、そのころは女性は20代前半には結婚相手を見つけるのが当たり前の時代でしたね。

(クレヨンしんちゃんのまつざか先生が1番最初のあたりのマンガ内でそう発言しています。)

母が結婚したのは当時にしては遅い28歳ごろ。

おそらく結婚相手がおらず焦っていたんだろうな、とアラサーになった今思います。

今ですらアラフォーになっても結婚できないと嘆く女性は多い風潮なのに、平成諸年代の雰囲気はさぞかしヤバかったでしょう。

だから売れ残りだといわれるのが嫌で結婚したのでしょう。

その結婚が騙されたという表現なのが子どもにとってはしんどかったです。

それで世間体で結婚して子どもを作って、その”子どもに生まなきゃよかった”なんて普通いうもんなんでしょうかね?

そんな親のもとで育つといつのまにか子どもはマイナス思考があたりまえになるのだそうです。

下の記事もあわせておよみくださいね。

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孫の私からみても母親にきつい姑

母の「騙された」結婚というのはどういう意味かというと、いろいろあります。

なぜならば私の父親との結婚は、おそらく今のご時世なら即離婚につながったような結婚でした。

その大きな1つの原因が私の祖母である姑。

まさに、典型的な毒母の祖母だったと思います。

実の叔母(父の妹)でさえめったに私の実家には寄り付かないぐらい典型的な毒祖母でした。

そんな祖母が姑なのだから母親に対してどうしても風当たりがつよくなります。

今ふりかえるとなぜ離婚しなかったのか、というようなこともありました。

でもそのたびに母親に

「おまえと弟がいるせいで離婚ができない」

と泣かれたのがとても胸を針で縫い付けられたような辛い記憶になっています。

我慢しろ、という保守的な父親

これも毒親をもつ家にはあるあるですが、父親は子どもに興味をもたない人でした。

たまに遊んでくれるものの、しょせんそれはいい父親ぶりたいだけであることは子どもながらに見抜いていたので、私も弟もなつきませんでした。

こちらに知恵がついて口で負かせるようになると、「親に口答えするな」とげんこつで黙らせる父親。

母親が祖母とケンカをしても、

「仕事で疲れてるんだから、その話はやめろ」

とかわばない父親。

でもそれを母親は

「お父さんは仕事が忙しいんだからしょうがない」

とよく自分に言い聞かせるようにいっていたのを覚えています。

そして母親のストレスがどこに向くかというと、私でした。

母親の都合のいいカウンセラーに私は気がついたらなっていたのです。

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正社員で働く母

最近ではまったく珍しくなくなりましたが、私の母親は正社員でずっと働いていました。

家には母親はおらず祖父母がかわりに私を育てていました。

母親はこれが何よりの後悔になっているようです。

「もっとあなたと弟を育てたかった」

といっていることがありました。

でもきっとパートで働いていようと私の話をきいてくれなかったと思うから、結局あまり変わらなかったと思います。

ただ正社員で働け、というのが私の祖母の命令だったらしいのでこの事情だけはかわいそうだなあと感じてはいます。

以上の条件から私の母親がそもそも子どもを持つのはしんどいことになることはわかっていた

以上の説明してきた様子から現代だったら離婚案件になっていると思います。

でも母親は世間体を気にする人だったのでとてもではないですが、離婚まで踏み切れなかったのでしょう。

しかしそれを「お前がいたからだ」と子どもに責任転嫁してはいけないと今なら言えます。

なぜなら子どもは真面目に考えてしまうからです。

「自分がいるから離婚できないんだ」

「自分が消えたらお父さんとお母さんは仲良くなるんだ」

厄介なことにこの疑問にこたえはありません。

また親が考えている以上に子どもは間にうけてしまいます。

(と、いうよりいっちゃいけない言葉ですよね…)

こういった慢性的なループストレスの原因になってしまうのです。

下の記事の先でループストレスについても解説していますので、きになったらぜひよんでみてくださいね。

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一応世話はきちんとしてくれた

くそみそに母親と父親のことを書いてきたが、一応2人は最低限の世話はしていました。

と一応書いておきます。

たまに旅行につれていってくれたし(ただし父母がケンカするのがしょっちゅう)、

熱がでたりすると病院につれていってくれたし、最低限のことはしてくれたと思います。

だからこそ私が変なんだ、親が正しいんだ、と思い込むようになってしまったのですが。

それが発見が遅れた原因でもあります。

親に育ててもらった、世話をしてもらった、というのは罪悪感につながります。

罪悪感のせいで親から離れられない、というのは毒親そだちあるあるですよね。

でも今考えると最低限の世話というのはまさに最低限の世話なので、家族愛がわいてくるレベルではありませんでした。

家族愛とは相手と信頼という道を通って水のようにたまっていくものだと私は考えています。

信頼がないのに家族愛なんて深まるわけもありません。

旅行につれていってもらったり、世話をしてもらったり、それは感謝しています。

それなのになぜ信頼が育たないのかというと、それは私が父や母の望むような子ではなかったのです。

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母の望むような子ではなかった私

残念ながら私は母の望むような子ではありませんでした。

というより私が変人すぎたせいだと思うので、まとめました。

女の子らしいものが嫌いな私

これが1番母をがっかりさせたと思います。

私は小さい頃はスカートが大嫌い。

というよりタイツが大嫌いでした。

タイツが足にまとわりつく感覚がすごく気持ち悪かったので、大泣きして嫌がっていました。

つまりスカートをはくとタイツをはかないといけない、スカートが嫌い!となりました。

これがおおいに母親をがっかりさせました。

でもいま振り返るとあの反応こそが、私が最近耳にするようになった敏感な人(HSP)であることの証明だったかもしれないなと思っています。

あとでしったんですが、HSPという人は幼児のころから服の肌触りで敏感に反応するようです。

詳しくはこちらの記事で解説しています↓

あと化粧も大嫌い、でもこれは1番最初にみた化粧の例があまりよくなかったせいだと思います。

祖母が化粧している姿をよくみていましたが、祖母はお世辞にも化粧がうまいといえない人でした。

リアルな描写をすると(ここは飛ばしてもいいです)

・顔中の毛穴に黒ずんだ汚れ

・パーソナルカラーに似合わない口紅の色(これはしょうがないとは思いますが)

これが私の視界いっぱいに広がり、化粧がとても不快なものとして思い込むきっかけになった。

(集合体のなかに唇が浮いているイメージです)

特に印象に残っているのは七五三。

もう気持ち悪い思い出です。

それをしらない母親は、スカートを嫌がり化粧も嫌がる私は

「女の子らしくない」

と何度も呆れていました。

ここでは色んな意味でかけないが私のトラウマになっている「女の下着事件」についていつか話せる機会がきたらいいと思います。

とにかく私は父母が望んでいる子ではなかったと感じ自己嫌悪をすることになっていきます。

「私のことが嫌いだから私を信じてくれるはずがない」

今でも強く思っています。

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考え方が保守的な親と興味をもったらやってみる私

私は好奇心が強い人間だと気づいたのは大学生になってからです。

でもそんな私を父母によく思っていないのは中学生になることにはなんとなく感づいていました。

小学生までは父母のいうことに不満を抱えながらも従っていました。

でも中学生になると自我の目覚めというやつで、父母への違和感をようやくはっきりと気づくことができました。

そもそも中学生のとき気づいたきっかけは2つあった。

・英語部だった私を無理やり途中入部で吹奏楽部にいれたり(これが原因で軽いいじめにあった)

・高校の進路への口出し(結局高校1年生のとき半年は友達がいなかった)

この2つがきっかけで父母にたいする疑いがわきました。

「部活をやることがエラいの?」

「頭のいい学校にいくのがいいことなの?」

皮肉ではありますが、この経験が今の私のもとになっています。

大学進学も父母には猛反対されました。

でも奨学金を借りて大学にいくと周りの友達がとてもおもしろい人ばかりで、抑えていた好奇心がムクムクと湧き出していろんなことにトライしていました。

在学中は普通の人が当たり前にできることを中心に。

・大学に残るギリギリの時間まで残っていたり

・色んなものを食べたり

・本を読みまくったり

バイトで稼いだお金を元手にとにかくできなかったこと自由にしていました。

怒られましたが家に帰らない日もありました。

大学卒業後は

・東京で就職した

・自分のお金で声優の学校にいった

・1人暮らしをした

保守的な家族にはありえないようなことをしまくりました。

だから父母からため息をつかれることはしょっちゅうありましたね。

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アラサーになってふりかえる

総括して、今の私がいえることについてまとめました。

生まなきゃよかったというセリフはこの世界でもっともいってはいけない言葉。

ここではっきりさせておきたいのですが。

生まなきゃよかったというセリフは人に対してこの世界でもっともいってはいけない言葉です。

やはり今でも思います。

社会人になってからいろんなことを経験しましたが、ダントツでいってはいけない言葉の1つだと改めて思います。

だから親には

「うまなきゃよかったんでしょ?」

と言い返してやるぐらいの気持ちで生きましょう。

被害者ぶってるんじゃねえ、とか親からいわれるかもしれませんが、ここは開き直ってもいいです。

ここまでいわれたからこそ、私も今現在絶縁できているといっても過言ではありません。

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もし言われたらそんな人間のそばにいる必要はない

そんなこをいってくる人間のそばにいる価値はまったくない、それは私が断言します。

そもそも親だから許すというのがおかしいのです。

友達にひどいことをいわれたら最終的には縁を切りますよね。

親は親である前に人間なのです。

あなただって親子であるまえに人間なんです。

人間は間違いを犯す、でもそれを親だから許すというのは違います。

私なりにだした結論。

うまなきゃよかったといわれて、思うのは

そんなのしるか!!!!( ゚д゚ )クワッ!!

っていうことです。

お前の理想の子育てができなかったのは自分のせいだろ!

それを他人のせいにするな!

というのが結論ですね。

そもそも親の理想の子育てって無理ではないのかな、と考えています。

かわいらしい女の子、親のいうことをなんでも聞く女の子、親の面倒をみて、いつもにこにこして、化粧が好きで、スカート大好きで…

タチカワ
タチカワ
……その前にそういう親ができるのか?

と思うようになりました。

お金がめちゃくちゃかかりますし、何より親自身が聖人君子でなければそんないい子がうまれるわけがありません。

遺伝的な意味でも、性格的な意味でも。

親が理想とする子どもが生まれなかっただけだ、とようやくここで思えるようになれました。

もっともこうやって思えるようになるまでだいぶ時間がかかったので、あなたは無理する必要はありませんよ。

ただ次のようなことははっきりといえます。

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母親から父親から離れてちょー!!しあわせ!!!!

ほんんっとうにいいたいのはあの家から親から離れて私が今めちゃくちゃ幸せだっていうことです。

たまに過去に言われたことを思い出すけど今めっちゃ幸せです。

私みたいにもし、親から離れたいと思うのであればぜひ下の記事もあわせてよんでみてください。

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余談:母親から届く呪いの手紙を無視する日々だった

1人暮らしをしているとたまに母親から手紙が届いて私を説教するような内容が多かったです。

内容があまりにすごいので途中からあまり読まなくなりました。

自分の記憶をうまく改ざんしてしまう母親なので、証拠に2,3通はとってあります。

あるときその手紙を夫に見せてみると

夫
これは、きついね

と渋い顔をしていたので、他人からみても毒満載の手紙だったようです。

まあそれが当たり前なんですけど。

一応まだとってあるが二度と目を通したくないな、と思います。

まあそれもいつまでもつかはわかりませんが、世間体を気にする母親なのでまだしばらくは大丈夫そうです。

夫には生活面や精神面でもめちゃくちゃ支えてもらっていますが、私の親から守ってもらう壁のような存在です。

本当に感謝をしています。

さいごに

母親から「お前なんかうまなきゃよかった」といわれた子がアラサーになって一度振り返ってみて心境をまとめました。

今ふりかえると本当に私の母親が子どもを育てるのはしんどい状況にあったんだな、っていうのはよくわかります。

ですがストレス解消のサンドバックにしないでほしかったです。

私は幸いげんこつ程度のものしかありませんでしたが、言葉での暴力はとてもひどかったと思います。

だから大人になった今でも絶対に許すことができていません。

世話をしてくれたことには感謝はしていますが、それ以外のことは絶対に子どもに対してしてはいけなかったと思っています。

世話をするから、といって人を傷つけていいことにはなりませんよね。

もしこの記事をみて親から離れたいと思っている方がいましたら、早く離れてください。

親はいつかわかってくれるなんてことはありません。

悲しいですがあなたを否定することで自分の存在を感じている人なのです。

そんな人からはあなたが離れるしかありません。

この記事を読んであなたが少しでもそれに気づいてくれればとても嬉しいです。

あなたが親から離れたいと思うならまず読むべき記事をまとめました↓↓

私の体験談をまとめた記事はこちらです↓↓